前ページ<< 欧米企業におけるノーレイティングの台頭
大いなる誤解
先述のとおり、レイティングすることは、従業員のモチベーションを下げフィクスト・マインドセットを助長してしまうと言われている。それ故か、ノーレイティングは、「従業員を恐れや不安から解放し、楽しく伸び伸びと働かせてあげるもの」だと思っている人がいる。ある有識者の方が、「先進企業がノーレイティングを導入していることに見られるように、これからは、高い業績目標を掲げるのではなく、従業員のやりがいや成長を重視しなければならない」と言っていたが、それは大いなる誤解である。もちろん、従業員のやりがいや成長は大事だし、確かに期末に上司から評価されるのは楽しいことではない。しかし、ノーレイティング制度では、賞与、昇格に関する上司の裁量が増すのであるから、上司からの評価が気になる点は変わらない。そして、実のところ、ノーレイティングを導入している企業が最も重視していることは、業績の加速化なのである。
ノーレイティングの真の狙い
では、ノーレイティングの真の狙いは何であろうか。筆者は次の4つと考えている。
1.組織のアジリティを確保する
2.業績向上を加速化する
3.コラボレーションを促進する
4.ハイパフォーマ―を処遇し、保持する
まず1つめの組織のアジリティの確保であるが、言うまでもなく、環境変化の頻度と度合が急速に増している中では、1年単位で目標を立てることが難しくなっている。パフォーマンスマネジメントのサイクルを四半期ごとなどと短縮化するのは一案だが、環境変化は自社の四半期に合わせて変化するわけではない。より柔軟に対応できることが必要である。
また、評価時のフィードバックについても、9か月前や6か月前のことを引き合いに出し、「あのときのここが良かった、ここを改善すべきだった」と言うのも、変化の早い時代にはそぐわない。なので、ノーレイティングでは、上司は部下と頻繁に話し合い、リアルタイムにフィードバックを行うことが必要になってくる。
2つめは業績向上の加速化である。ノーレイティングは、先の有識者が言うような「業績軽視で従業員に優しい制度」とは真逆と考えたほうがいい。実際に、ノーレイティング導入の代表的企業としてよく例にあがるギャップ(Gap Inc.)でも、全従業員に通達する「パフォーマンス評価基準」の冒頭には「私たちは高い目標を掲げてそのゴールを捉えるように愚直に取り組みます」とある。
従来のパフォーマンスマネジメント制度の問題は、評価基準を目標達成度に置くと、従業員が達成しやすい目標を設定してしまうことにある。一方、ノーレイティングでは、たとえば「市場シェアを3倍にする」といったような猛烈に高い目標を掲げたとして、その半分でも達成したら、それは大変立派な結果をもたらしたのだから、賞与や昇給で報いることができるというわけだ。
さらに、従来の制度では、期末の評価の妥当性を部下に納得させるべく、あるいは部下側は自分の評価を上げさせるべく、過去(期内の過去)の業績や行動ばかりに話題や意識が集中しがちだ。一方のノーレイティングでは、それがなくなる分、未来に向けていかに業績を上げるかに集中することができる。
また、従来のパフォーマンスマネジメント制度の中でも特に評価が相対評価になっている場合は、社内がギスギスしがちだ。自分の部門内で、誰かが好業績を上げれば、それは自分がA評価をもらえなくなることを意味するのだから、無理もない。下手をすると、足の引っ張り合いにもなりかねない。ノーレイティング下では、そうした心配がなくなり、チームワークが良くなり、コラボレーションが促進されるというのが3点目のポイントだ。
4つめについては、評価を正規分布ではなくパレート分布(べき分布)で考える必要がある。正規分布で考えると、ハイパフォーマ―とローパフォーマーは分布の両端にいて、大多数が中間にいる。そして、ミドルパフォーマー(中間値)を基準として考え、ハイパフォーマ―の報酬はミドルの1,2割増しにするといったように考えることになる。
しかし、縦軸を成果にしてパレート分布図を描くと、全く違った光景が見えてくる。そのことをマッキンゼーは次のように述べている。
●5%のトップパフォーマーは、平均パフォーマーの4~5倍の成果を出しているという調査結果がある
●平均パフォーマー間の差異は大きくないので、その見極めに労力を使うのは無駄
●したがって、『ABC評価』ではトップパフォーマーに適切に報いることができない
ちなみに、グーグルのラズラ・ボック氏は、ソフトウェアのエンジニアになると差がさらに大きくなると述べている。
●グーグルのアラン・ユータス上級副社長は、一流のエンジニアは平均的なエンジニアの300倍の価値があると言う
●ビル・ゲイツは、優秀なソフトウェアプログラマーは平均的なプログラマーの1万倍の価値があると言う
出所:『ワーク・ルールズ!』(ラズラ・ボック著、東洋経済新報社)
こうしたトップパフォーマーを適切に処遇しなければ、他社に引き抜かれてしまうのは目に見えている。日本でも、人工知能のエンジニアになれば、どこの会社でも引っ張りだこだ。ラズラ・ボック氏も、正規分布の考え方で従業員を処遇することは、バランス重視の内向きの制度であり、「最も優秀で最も可能性のある社員が辞めるような仕組み」と断じている。
なお、ノーレイティングの狙いは、個人の意思や強み、そして能力開発に重きを置くことだとする論者も多い。確かにノーレイティングを導入した企業はそれらを重視すると言っている。しかし、このことは、ノーレイティングと従来のパフォーマンスマネジメントの違いの本質ではない。
たとえば、目標管理制度(MBO)にせよパフォーマンスマネジメントにせよ、本来は、組織として達成すべきことと個人の想いとの整合をとることが狙いだった。ところが、年数を重ねていくうちに、「目標は上位から降ってくるもの」という習慣と認識が強まり、やがて「パフォーマンスマネジメント(または目標管理制度)の欠点は、組織と個人の関係が対等でないこと」などと言われるようになってしまった。従業員の能力開発や成長促進についても然りである。パフォーマンスマネジメントがそれを重視していないのではなく、運用の過程において置き去りになってきたといったほうが正しい。実際、レイティングを維持している企業でも、個人の意思や従業員の成長を極めて重要視しているところは決して少なくない。
先進企業がノーレイティングにしているわけではない
ノーレイティングに関する誤解がもう1つある。日本では、兎角、「欧米の先進企業はノーレイティングに移行している」と言われがちだが、実態はそういうことでもない。例えば、フェイスブックやグーグルといったいわゆる先進企業はノーレイティングではない(つまり評価をしている)。グーグルについては、独特のパフォーマンスマネジメント制度を有しており、その詳細は『ワーク・ルールズ!』に紹介されている。
フェイスブックの言い分は、「評価結果が公正なものだと全員が納得するのは難しいことだが、評価プロセスが公正であることがわかれば、納得度は高まる。ノーレイティングでは、そのプロセスがブラックボックス化してしまう」ということだ。フェイスブックでは公正なプロセスのために、同僚からのフィードバックも加味した評価を行い、しっかりとした話合いを上司・部下で行い、バイアスを除去するアナリストが全ての評価結果をレビューするなどと、徹底して策をとっている。そして、評価結果をダイレクトに報酬にリンクさせている。
また、ノーレイティング制度では上司から日常的に頻繁にフィードバックを受けることになるが、フェイスブックはそれに対しても異議を唱える。あまりに多くのフィードバックを受けると部下は混乱するし、重要な能力開発課題を見失いかねないという。
なお、目標設定については、達成確率50%を目安とした高い難易度を課している。それによって、「評価されるために達成しやすい目標を立てる」といった落とし穴を回避している。
さらに、評価を受けることへのマイナス効果を神経科学が実証したというノーレイティング派の主張に対しては、「どう評価されているのかがわからない」という不安な状態のほうがよっぽどマイナスであるという別の神経科学上の結果をもって反論する。グロース・マインドセットのほうがフィクスド・マインドセットよりも良いのは当然だが、パフォーマンスマネジメントを通じてグロース・マインドセットを醸成することはできるともいう。
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